哀愁自悠人のふぉと つれづれ

ふと出会うシーン・・・   その感動の一瞬を・・・
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カテゴリ:ぶらり・・・記( 35 )
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2011年 06月 07日 |
神戸三宮、北野坂の一本西の通りのビル階段を降りた所に風情のある入り口。
日本料理割烹であるが扉を開けると、ラ・トゥール、ル・パン、ムートン・ロートシルトにオー・ブリオン・・・・・・・。
店は右に白木カウンター、左に座敷。清潔感が溢れる。
出汁の味が美味く、食材の味が生かされている。良い昆布や鰹が使われているのだろう。
大将(馬頭さん)自ら出身地である『加西』まで食材を求め、旬に凝った素材と器を使った丁寧な仕事が嬉しい。
品書きには「前菜、お椀、刺身、焼き物、煮物、食事、デザート」とだけ、その時々の食材が楽しみである。

2011年 ミシュランの星二つを獲得した割烹 帰りにもう一度セラーで目の保養をした。

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兵庫県 神戸市


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2011年 05月 04日 |
菜の花が満開の頃、ワイン用に育てられる葡萄の新芽が芽吹く。
「ワインまつり」に出掛け、白ワイン用のシャルドネ種を搾った無添加、無加水のジュースを味わった。
キンキンに冷やすと透き通った黄金色は香りが良く立ち、味わいが深まる。
コンコードやナイアガラ等の葡萄ジュースとは一線を画するものである。

このまま酵母を加えると発酵してワインに生まれ変わるが、色と味が年によって違いワインの試金石となる。

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兵庫県 神戸市


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2011年 03月 07日 |
「ポーリ宮殿」の壁面に設置されたバロック様式の泉。
中央に重厚な凱旋門と海神ポセイドン、左に豊饒の女神デメテル、右に健康の女神ヒュギエイアが配置されている。
古代ロ-マ時代にウィルゴ水道の終点として作られたが、途中1762年に場所を変えサルビの設計で今の場所に完成した。
叶い事をコイン投げで願うこの泉、右側に愛の水(L'acqua dell'amore)と言われる永遠の愛を誓う小さな泉もある。
前面の動きのある演出の白い彫刻に見入ってしまう。

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イタリア ローマ


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2011年 02月 28日 |
直径42m、高さ132m、天井窓から漏れる光が天蓋を一層大きく見せる。
1546年、ミケランジェロ71歳の時のデザインで、完成はミケランジェロ没後62年のこと。
天蓋の16の窓から入る光が絵画や彫刻を照らし、壮麗さ、神秘さを醸し出している。
サンピエトロ大聖堂の施された装飾、納められた彫刻、絵画、鍍金ブロンズ4本柱の主祭壇。

どれをとっても他を寄せ付けない荘厳さである。

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イタリア バチカン市国


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2011年 02月 21日 |
サン・ピエトロ寺院を中心に4列372本のドーリア式大柱廊が左右にカーブを描いて楕円形の広場を囲む。大柱廊の上からは140人の聖人像が来訪者を眺めている。
1656年に着工され、1667年に完成したこの列柱。広場の中央にある一点から見ると、回廊の左右に広がるこれらの4列の柱がぴったり重なって1列に見え、洗練さが一層強調される。
広場にはマデルノの噴水とエジプトから運ばれたオベリスクも配置され、直径240m、約30万人を収容する。

教皇アレクサンデル7世とジャン・ロレンツォ・ベルニーニが手がけたサン・ピエトロ広場とコロンナート。傑作である。


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イタリア バチカン市国


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2011年 01月 01日 |
世界最大級とも言われるイタリア最大のゴシック建築は、いつ訪れても壮麗な美しさを誇っている。
この大聖堂は、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティにより1386年に着工され、約500年余りを掛けて建築は完成し、今も繰り返し修復が繰り返されている。
全長158m、幅93m、高さが108m。内部は11,700㎡を有し、天に向かってそびえたつ135本の尖塔、外部の2,245体の彫刻との融合美が素晴らしく飾られ、内部にも1,300体の彫刻がおさめられている。

珍しく晴れた日、冬の光を浴びる壮大な姿を切り取ってみた。


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イタリア ミラノ


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2010年 12月 28日 |
晴れた日に、ガラスと鉄で造られた天井から明るく差し込む光に誘われてミラノで一番人が集まる場所を訪れた。
 12年の歳月をかけて1878年に完成した2つのアーケード商店街(ビットリオ・エマニュエルII世ガレリア Galleria V. Emanuele II )である。
 イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニが設計し、初めてイタリアを統一したエマニュエル2世の名前を冠するこのアーケードの歴史的な重みには圧倒される。
 この天井の下に4大陸を描いたフレスコ画や牡牛のモザイク画があり多くの人が訪れるがここの天井が好きである。

いつ訪れても同じ姿を見せ、レストランや店の人々が懐かしい。

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イタリア ミラノ


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2010年 12月 18日 |
 ミケランジェロの遺作「ロンダニーニのピエタ」を見に、レオナルド・ダ・ヴィンチも装飾に携わったスフォルツェスコ城(スフォルッツァ城)を久しぶりに訪れた。

 この城は、ミラノがイタリア半島の北イタリア玄関口に位置する為、勢力争いが絶えない中、ヴィスコンティ家が1277~1447年の支配時に旧市街の北西部センピオーネ公園に築いた城である。
その後の統治者となった軍人フランチェスコ・スフォルツァの時代(1450年頃)から多くの改築が繰り返されている。
 15~16世紀にかけてフランスや神聖ローマ帝国、スイス、オーストリア等ヨーロッパ各国の覇権争いの中でもスフォルツァ家が支配を続けたが、スフォルツァ家の血筋が途絶えた1535年のスペインの統治の後、歴代の君主たちによって城の防御の為の改築が度々加えられた。
17世紀の初めにはルネサンス時代の優雅な城というよりは中世の堅固な要塞の赴きを漂わせるヨーロッパでも1、2を誇る堅固な要塞となった。
 1733年にフランス軍ルイ15世の攻撃で半壊し、1800年にはナポレオン征服により城壁の一部を取り壊されたが19世紀初め頃に修復が完成した。
 正面のフィレーテ塔の周囲は回廊が巡り、左右に延びた城壁の両端に円筒状の隅櫓が建ち、一辺約200mのほぼ正方形で内側に広い中庭がある面白い城である。

 レオナルド・ダ・ビンチはフランス軍がこの町を占領した時一旦ミラノを去るが、再訪後1482年頃から17年間ミラノ公ルドヴィーゴ・スフォルツァに仕えて城の装飾に携わったとされ、20世紀初め頃になって装飾を施した
「アッセの間」が発見されたのである。15世紀頃、ミラノ派とよばれる画派を生んだルネサンス芸術がミラノに花開いた時代である。

現在、スフォルツェスコ城の内部は市立美術館として無料公開され、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ(未完)」のほか彫刻コレクションやマンテーニャやティントレットをはじめとした絵画や衣装・工芸品などを数多く展示。そのほか、エジプト遺物を中心とした考古学博物館や中世の武器・鎧博物館、楽器博物館など幅広いジャンルの市民美術・博物館として展示がなされている。

ミケランジェロが死の直前まで彫っていたという「ロンダニーニのピエタ」、ピエタとは聖母マリアが十字架からおろされたキリストを抱き上げるシーンの宗教画らしい。


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イタリア ミラノ


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2010年 11月 10日 |
平城京遷都1300年のイベントもあと僅か。大和高原・宇陀にある古寺仏隆寺から室生寺までの室生古道を辿った。

近鉄榛原駅からバスに乗り、高井で下車。矢谷川に架かる頭矢橋を渡り、長閑な田園風景を楽しみながら室生寺の南門に位置する仏隆寺に着く。

仏隆寺の後は石ころの道から薄暗い林の中の曲がりくねった急勾配の山道を登る。
多少、息も上がってくる頃、唐戸峠(室生峠・665m)にある役の行者を祀った祠と休憩小屋につく。
同行の友人夫妻が心を込めて前の晩から用意された「栗ご飯」で昼食と暫しの休憩。

ここからは打って変わって明るい林道を下ってゆく。右手に唐戸池を見て、どんどん下ってゆく。
「腰折れ地蔵」を経て、暗い杉道を通り抜けると遠くに室生の里の長閑な風景が見えてきた。
里の集落の道をゆるゆると下る途中に簡素な佇まいの優雅で美しい枝垂桜の西光寺がある。

室生の里の延々と長い坂道を下りきって畦道から民家の路地を抜け、赤い太鼓橋を渡ると室生寺である。

秋深い大和路はすれ違う人も無く、静寂に包まれた古道であった。

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奈良県 宇陀市


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2010年 11月 07日 |
唐人街、中国城などとも呼ばれ、横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街が日本三大中華街といわれる。
国同士の関係がギクシャクしている中、月を愛で、秋の収穫を祝い、地の神様を祀ると言われる中秋節あたりにふらっと神戸南京町へ出かけた。

料理店や雑貨店の中華風装飾、町の通りに立つランターン風の中国外灯、南京町広場の十二支石像などはいつもどおりである。
気のせいか、何となく人の出入りが少ないが、社会見学であろうか子供たちがはしゃいでいる。
 見て、聞いて、記録して、食べて、笑って記念撮影。
見たもの、聞いた事や体験を授業中に話し合うのであろう。

余談であるが、南京町広場にある十二支石像、実は13体ある。
十二支石像を中国に発注した際、言葉の誤解から「猪(イノシシ)」が上手く伝わらず代わりにパンダが作られたのだが、亥年生まれの人達からの大クレーム。
すったもんだの挙句に再注文。なんとか「イノシシ(亥)」像が出来上がり、13体になった。

他国とのコミュニケーションは難しい・・・・・。


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兵庫県 神戸市


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